黙って見てられません!
人間の遊びのためだけに殺されているなんて・・・。
志村動物園を見たこと無いんじゃないのか!
以前大薮春彦の書いた
「灼熱のサファリ」という本を読んだことがある。
これはアフリカでのハンティング旅行のエッセイじゃった。
内容はともかく、表紙が問題での
無残に撃ち殺され、血を流すライオンのアップ写真。
それに著者のライフルを構える姿が合成されておるのじゃ。
著者としては、誇らしい気持ちで一杯だったんじゃろ。
この表紙に嫌悪感を感じたのは、わしだけではあるまい。
しかしのう、このような反対運動を声高に唱える輩も
何だか胡散臭く思えるんじゃ。
動物愛護にしても、自然保護にしても、「ウケ」がいいからのう・・・。
ゲームハンティング肯定論者の理論のように聞こえますけど?
うちにはかわいい猫がおるからのう
気持ちがダブってライオンが不憫でならんよ。
わしはゲームハンティングは反対だから
絶対にしないし、する者を軽蔑するよ。
しかしのう、残酷だからやめろと規制を作ることには
わしはちょっと慎重になるのう。
イギリスの伝統スポーツの狐狩りも問題になったことがあるぞ。
鴨や猪猟はどうなんじゃ?
食べるものは殺しても良い、という理論は通用せんぞ。
「食べるために仕方なく殺す」というより
「ハンティングを楽しむ」ために猟をするんじゃないのかな?
同じじゃよ。
人は牛や豚を殺す。
これは生きるためじゃ、異論を唱えるものはおるまい。
鶏だって、ダチョウだって
南米ではかわいい兎だって食べるために殺す。
これも良いわな。
ならクジラやイルカはどうなんじゃ?
知能の高い生きものを殺すのは良くないと思いますけれど・・・。
なんて世の中がきたら恐ろしいのう。
フォッフォッフォ・・・冗談じゃ。
わしはクジラを食べるのが好きだから、鯨漁賛成じゃ。
日本は国際捕鯨委員会から脱退もやむなしと思っちょる。
鯨漁とゲームハンティングを、同列に扱うのは乱暴かもわからん。
敢えてここで挙げたのは
それだけ線引きが難しいと言いたいんじゃ。
頭がいいか悪いか、食べるか食べないか・・・
子供か大人か、残酷か否か・・・
こんなことで命の重さを測れるのかのう?
ではどうしたらよいのでしょう。
クジラ漁にしても、狐狩りにしても、今回のライオン狩りにしても
取り締まることは良くないと言いたいのですか?
今回の法廷の判断も、わしとしては大歓迎である。
わしは取締りがいかんなんて思っていない。
是非の判断を安易に考えすぎているような気がするんじゃ。
特に最近は「命の尊さ」のような情緒的な部分だけにウエイトを
置きすぎているような気がするんじゃ。
命は誰にとっても尊いもんじゃて。
蛙だって、おけらだって命は同じ重さじゃ。
しかしのう、それを持ち出すと是非の判断にならんのじゃ。
スペイン闘牛を見てみい。
何の罪も無い牛に剣を突きつけて、それを見て楽しむ人間がおる。
残酷じゃないかね。
でも現代においても容認されておるがの。
それは思うに、わしらから見て残酷ではあってもスペインにとっては
大切な文化だからじゃないかと。
イギリスの狐狩り、スペインの牛追い祭りなんかも同じじゃ。
そういえば
日本でも最近イヨマンテを認める裁判結果が出たんじゃないか。
そして1〜2年したら小熊を殺すという儀式じゃ。
これは熊を神として崇め、大切に育てた小熊を天に帰すことで
謝意を示すという意味がある。
傍から見れば、こんな残酷な話は無いがの
アイヌからすれば、深い意味がある。
わしは背景にある文化をもっとよく理解する必要があると考えてる。
そこには「命の尊さ」だけでは測ることが出来ない
もっと重要なものがあるかもしれんじゃないか。
自分の考えは絶対に正しいと思って
ご大層な理論を振りかざす輩よりはええ。
フォッフォッフォ・・・

